2021-03-01 第204回国会 衆議院 予算委員会 第17号
また、小学校、中学校、高校生では、一生懸命練習したのに、大会や部活が中止になって、一生の思い出づくりもできず、涙に暮れているという子供たちもおります。子供たちは、日々、このコロナ禍で本当に大変な思いをしております。 こうした子供たちの問題は多岐にわたりますけれども、しかし、子供たちを守ることができるのは、我々大人しかおりません。
また、小学校、中学校、高校生では、一生懸命練習したのに、大会や部活が中止になって、一生の思い出づくりもできず、涙に暮れているという子供たちもおります。子供たちは、日々、このコロナ禍で本当に大変な思いをしております。 こうした子供たちの問題は多岐にわたりますけれども、しかし、子供たちを守ることができるのは、我々大人しかおりません。
小学校最後の学年だけれども、コロナで思い出づくりの行事がなくなってしまった、給食のときもコロナ感染防止のためおしゃべりも禁止で、クラスで全員が前を向いたまま黙って給食を食べなければいけない、卒業の年の大切なときなのにコロナのために一生懸命我慢をしているのに、大人はどうして楽しく御飯を食べていいのか、大人こそ守ってほしいというものでした。
これはレガシーづくり、自分の成果や思い出づくり、そういうふうに言われている、最後の花道で総理は何かやりたい、思い出づくり改憲なんじゃないですか。 もう一つお聞きしたいと思います。だから、わざわざ世耕さんは、そういう目で見られているから否定しなきゃいけなかったわけですよ。 総理はこういうこともおっしゃっているんですね。すごく立派なことをいっぱいおっしゃっているんですよ。
だから、レガシー改憲、総理は、最後の花道に、思い出づくりで、思い出づくり改憲を自分の思いと思い込みで引っ張っていく、国民を巻き添えにするのはやめていただきたいということを申し上げて、終わります。
そして、医療、介護が元気になることが、多くの医療従事者、地域の患者様、御家族、そして地域産業と密着につながりながら、人づくり、町づくり、そして住みなれた町で楽しく暮らせる思い出づくりを支えて、日本全体として大きなパワーにつながると確信をしております。そのような思いで、直前に迫った二〇一八年の診療報酬、介護報酬の同時改定に臨もう、そう思っております。
また来たいなと思えるような、何というんですかね、また来たいなと思えるような思い出づくり、癒やしの場づくりということをずっとされてきた方々、片山町長なんかもそうだと思うんですけれども、という環境の中に、そのような、ばくち場みたいなものができてしまい、また来ようにも、その分まですっちゃったみたいな話にもなりかねないなというふうに何か勝手に思っちゃうんですけれども。
土曜日の半ドンをしっかり授業していただいて、子供たちが登校してこない夏には、ある意味でその代わりとしていろんな研修や、子供たちに語れる思い出づくりに努めていただければいいなと思っているわけですが、現行はそうではないわけですから、こういうふうに教育自体が文部科学省の意図、教育委員会の言っていることと違う形で現場で組合によってゆがめられてしまっているという現状についてはしっかりと受け止めて、その上で、ならぬものはならぬという
そういう思い出づくりを教師がしっかりやっていかなきゃいかぬという意味では、心の触れ合いというのを感じさせられる部分が一番今欠けているんじゃないかな。教師自身が本当に感受性微弱というか感受性硬化症というか、そういう半病人みたいな人が非常に多くおるんです。もっと強くなってもらいたい、そう思います。
要するに、考えたら高校三年間に思い出づくりがないんですね、これをやったという思い出づくりが。 例えば、私は千葉大に二十三年間いまして、ここ十年の傾向ですけれども、四月に新入生歓迎といういろいろなセレモニーがありますね。十年前までは新入生歓迎コンパという立て看がありまして、鹿児島県人会集まれとか、大分県人会集まれとか、鶴丸高校来いとか、何とか高校同窓会とかという立て看があったんです。